記憶のつく嘘

カウンセリングの心理療法には、クライエントさんの成育環境や過去のトラウマとなったできごとに焦点を当て、抑圧された感情を解放し、心の癒しによって回復を得るものがいくつかある。

なかにはクライエントさんの生きづらさや情緒不安の訴えの原因を、すべて生育環境や機能不全家族に求めるセラピストやカウンセラーも存在するが、そこには意外な落とし穴がある。したがってクライエントさんの過去を扱う場合には、それをふまえた上で慎重に行う必要があるのだ。

1980年代、欧米で流行した「記憶想起療法」もそのひとつだった。摂食障害や慢性的な抑うつを訴える患者さんに、幼少期に何らかの虐待経験やトラウマ的体験があったと想定し、そのときのことを思い出すように誘導する。催眠療法を用いることも多かった。

すると多数の患者さんが、何らかの虐待によるトラウマの記憶を思い出すことになった。そのほとんどが、親による身体的・性的虐待であったという。そうとう酷い虐待もあったらしい。

この「記憶想起療法」では、「加害者」を法的に訴えることが精神的問題から抜け出すための重要なポイントと考えられており、多数の患者さんが想起されたトラウマ体験をもとに両親を告訴した。

ところが、裁判ということで事実関係の調査を綿密に行うと、想起された記憶は事実とは違っていた、もしくはそんな事実は無かった、という事例が相次いだ。これは患者さんが、故意に親を陥れようとしたのか?

実はそうではなく、記憶自体が嘘をついていた(偽りの記憶  false memory)ということが判明する。つまり、記憶によって患者本人も治療者も騙されていたというわけなのだ。

記憶というものは、一度記憶されたらずっと同じ記憶のままで頭の中に定着しているわけではなく、忘れた後、再度想起され るたびに上書き保存され、形を変えていくものでもあることが証明された。もちろん、そこには患者さんの情緒の働きがけがあるのだけれど。

その後の経緯をみると、裁判に訴えた患者さんたちの家族はおしなべて関係が悪化した。当然である。その上「記憶想起療法」の治療によって、かえって病状も悪化したという。以降、急速に「記憶想起療法」は廃れていった。

「偽りの記憶」の問題は、過去のトラウマに焦点を当てる心理療法家にはスルーされがちであるけれど、良心的かつ腕のいいセラピストやカウンセラーは、クライエントさんに対し忘れられていた記憶を思い出すよう促したり誘導したりはしない。

「忘れられた記憶を思い出させる」というのがくせ者であって、最初から忘れること無く憶えている記憶に関しては、その範疇ではない。

これはクライエントさんの責任ではなく、過去に原因を求める心理療法に恣意的に当て嵌めようとして、忘れた(または最初から無い)記憶を誘導的に思い出させる、という手法を使うセラピスト及びカウンセラーの側に問題がある。

 

いずれにしても記憶想起療法だけではなく、催眠療法やピプノセラピーといった心理療法は慎重に扱う必要があると考えている。


一方で、記憶の上書き保存を上手に利用して囚われていた思いを解放し、心の傷(トラウマ)を癒す心理療法もある。