折衷主義のカウンセリング理論


精神分析理論(2)

<精神分析的見地における人間の成長>

● 快楽原則・現実原則

精神分析では人間を他の動物と同様、本能によって生きていると考える。ここらへんの概念はひじょうにわかりにくく、勝手解釈単純化なのでご容赦のほど。

本能生の本能 → 自己保存本能
   死の本能 → 自他への攻撃・破壊本能

生の本能「自己保存本能」は、生殖本能はじめとする建設的傾向をいう。死の本能は自他を攻撃し破壊に向かう傾向(必ずしも自殺・他殺ということではない)をいう。しかし、生の本能=よい、死の本能=よくない、ということではなく、知性(既成概念の破壊)や親が子を守る(愛)ための攻撃なども死の本能と考えると、生の本能と死の本能の程よい調和共存が好ましい状態と考える。

人間が生きるということは本能充足のためであり、つまり、人生は本能を表出し解消していくプロセスといえる。

精神分析では本能充足の原理「快楽原則(pleasure principle)という。

仕事をさぼってパチンコに興じたり、好きなアーティストのCDを集めたり、好きになった異性を追いかけたり、嫌いなヤツに罵声を浴びせたり、結婚の苦痛から逃れるために離婚したり・・も、快楽原則の一端である。

しかし快楽原則に従って、既婚者に言い寄ったり、ワンマン社長に文句を言ったりしたら、相手の配偶者に殴られたり会社を首になる可能性がある。それがわかっているので、現実世界の制約や諸般の事情を考慮して、それを計算した上で行動することになる。

現実社会の制約や諸般の事情「現実原則(riality prinsiple)」という。

いわゆる成人(おとな)とは、現実原則に従いつつ快楽原則を満たすことのできる人、ということになる。おとなでも幼児的傾向の強い人はそれができずに快楽的原則に支配されやすい。

したがって精神分析的知見における「人間の成長」の定義とは、「行動の原理が快楽原則から現実原則に移行してゆくこと」と考える。

精神分析では快楽原則と現実原則が一致した状態を「昇華」という。たとえば、人をコントロールしたい欲求(快楽原則)を政治や教育の場(現実原則)で満たすことや、変身願望(快楽原則)を俳優業(現実原則)で満たすのがその例と言える。しかしそれさえも、ある部分においては妥協や迎合といった現実原則に従わなければならない。


● 性格

「現実原則に従いつつ快楽原則を満たすこと」の得手不得手は、後天的学習によるものと考え、それを「性格」と位置づける。

精神分析ではこの「性格」を、幼少期の家庭生活に左右されるものと考える。

たとえば、すぐに人のご機嫌をとる人は、そのようなかたちでしか「人の好意を得る」(快楽原則)という欲求を充足させる方法を知らない。その原因は、おそらく幼少期に親のご機嫌を取らなければ生きてゆけなかったのであろう、と推論づける。

つまり、「今こうある自分は過去にその原因がある」という理論が精神分析の基本となる。決定論もしくは因果論である。

過去の影響が現在の生きづらさ(症状)を形成しているならば、その過去の支配・影響から解放されなければならない。
過去のくびきから自由になるためにはどうしたらよいのか?

「無意識の意識化」である。

過去の経験が無意識下において現在を支配しているのだから、具体的にどのような体験よって、どのように行動を支配してきたかに気づく(意識化する)ことである。意識化することによって、それに影響されたり振り回されたりしなくなる(過去からの自由)

この「無意識の意識化」が精神分析の骨子となっている。

しかしながら、気づきによって変化が生じる(症状が消える)場合もあるが、気づきだけでは変化しない場合もある。そのようなときには、 たとえば認知行動療法や論理療法、インナーチャイルド・セラピーなどの技法をプラスαしてよいと考える。

(つづく)