折衷主義のカウンセリング理論


精神分析理論(1)

私のカウンセリング折衷主義については、1)・(2)のとおりである。

次に、これまで学んだ範囲でのカウンセリング各理論について簡単にまとめていきたい。実際の臨床体験を重ねてゆく過程で、カウンセリング理論や技法も成長してゆくものと考えているので、今の段階でということになる。したがって、発展途上にある現時点での理解を覚え書き程度にごく簡単にまとめたものなので、興味のある方は、各論のあとに記載する参考図書を読んでいただけたらと思う。


●精神分析理論

フロイト以降多くの分派に分かれながら、人間の心を追求する包括的な心理学として広大な理論体系へと発展を遂げた。多くの批判を呑み込みながら、今なお文化・思想・哲学・社会学・芸術等に多大な影響を及ぼし続けている。

しかしながら他のカウンセリング理論に比べて、精神分析の心理療法や理論はそれほど普及していない。

アメリカでは長い間、精神分析者として患者を扱うには医師の資格がなければならず、心理学者は研究者としてしか関われなかった。また精神科医が精神分析者となるには、膨大な理論をマスターするのに4~5年かかる、ということもある。

上記の経緯だけではなく、精神分析理論は日本の心理学や精神医学の世界で冷遇されてきた歴史がある。伝統ある実験心理学に比べ科学性に欠けていると見なされたこともあるが、やはり民間人(フロイト)の提唱した理論にたいする偏狭なアカデミズムが原因していたのだと思う。

現在日本で行われている精神分析に基づく治療法は、ほとんどが「精神分析的心理療法(トゥーパーソン・サイコロジー)」といわれているもので、国際精神分析学会に定められる「精神分析療法」ではない。

また、精神分析理論精神分析療法とは一致していない。精神分析の技法は理論のほんの一部、神経症(現在ではパニック障害や強迫性障害)の治療技術でしかなかった。したがって、「精神分析的心理療法(トゥーパーソン・サイコロジー)」は多くの文献に基づいた精神分析理論をもとに、他の療法との折衷のなかで発展してきたものだといえる。

ちなみに国際精神分析学会の定義する精神分析療法とは
(1)週4日以上のセッション
(2)カウチ(寝椅子)の使用
(3)自由連想を用いる
以上の3つの要件を満たさなければならない。それを何年かにわたって行うという、おそろしく時間的・経済的負担を要する治療法なのだ。

よく昔のアメリカのドラマや映画で、患者が寝椅子に横たわってぼんやり天井を見上げ、「青い空・・雲が出てきました・・雷・・・寅皮のパンツ・・・怖い・・」など一方的に心に思い浮かぶ言葉を発している「自由連想」の様子が描かれてたりしているが、あれが精神分析の正当的治療方法といえる。

患者と精神分析者(セラピスト)との交流は、ときどき挿入されるセラピストの解釈以外にほとんどなく、
精神分析的心理療法のトゥーパーソン・サイコロジーに比してワンパーソン・サイコロジーと言われている。

治療法へと話がズレてしまった。ここでは精神分析理論について、私の精神分析セミナー経験と文献による浅薄な知識をまとめてみる。


<精神分析理論の特徴>

精神分析理論を支える基本は二つだと考える。

1)幼少期(過去)の体験による性格形成
(2)無意識が全ての行動のモチベーション(原動力)
 

つまり、幼少期の体験が人の性格を形成し、あらゆる行動は無意識の働きかけによるものとしている。したがって精神分析による治療法の要諦は、精神疾患となっている原因、つまり無意識下に抑圧された幼少期の体験を表面化すること「無意識の意識化」によって、その体験を克服するというもの。

意識化とは「洞察」であり「気づき」である。自己洞察や気づきによって、無意識からの働きに翻弄されなくなることはある。しかし、洞察や気づきといった解釈だけでは問題の解決に至らないこともある。それ以降をフォローする技法は精神分析療法にはない。

つまり、精神分析の理論としては、神経症や育児、宗教、文化人類学、社会問題などカバーする範囲は広いが、必ずしも心理療法の方は理論をカバーできるほど治療技術が確立されておらず、体系化されてもいない。

自由連想や夢分析によってさまざまな洞察・解釈ができたとしても、それをカウンセリングとして臨床現場で生かすためには、他の療法との折衷が不可欠であると考える。(つづく)