「マウント」について思いつくまま


マウンティングというのは、動物が相手に上からのしかかるように跨って上位を示す行動だが、それを人間関係に当て嵌め、人が人に対して上位・優位を示そうとする行為を「マウントをとる・とられる」と表現するのだそうだ。数年前にクライエント様から教わったが、ああ!なるほどー!と感心した覚えがある。。

私の若い頃(古生代?)は、類義語でそのような人間を俗物(スノッブ)小物と称していたが、マウントという表現もひじょうにユニークで分かりやすい。

 

実際にのしかかるわけではないので、マウントをとっても気づかれなかったり、マウントのつもりがなくてもマウントと捉えられたり、敏感な人と鈍感な人では感じ方が違ったりと、ファジーな感じが「自慢」「「皮肉・嫌味」「受動的攻撃」とも似ているように思う。対抗意識の表れであろうが、ある種の心理攻撃ともいえる。

 

社会心理学ではヒトの攻撃性を、「無抵抗の相手に対し、身体的・心理的危害を加えることを意図して行う行動」と定義しており、内的衝動、情動発散、社会的機能という3つに大別している。また、攻撃行動の原因についても様々な研究・学説がある(あくまでも仮説)。私は、マウントなど他者に自分の優位性を示すための攻撃行動は、主に自分を守るという「自己防衛によって安心安全の報酬を得る」ためのものと考えている。

 

いずれにせよ、マウントを取られる側は何も思い悩む必要はないのである。

相手がライバル視しがちなタイプとして、職場やサークルなど、たまたま同じ環境で遭遇した他人に過にぎない。

問題は100パーセントそのような言動に出る相手の側にある。

 

相手は攻撃する相手の凹んだ様子(ほぼ妄想)的なリアクションを確認して、優越欲求、承認欲求を(とりあえず)満たし、不安からくるストレスを解消しているケースがほとんどである。

 

主な原因としては、下位であるべき(と勝手に決めつけた)相手が、自分に脅威を抱かせる、つまり恐怖や不安を感じさせる存在になったから‥と推測できる。

 

相手を下げることによって自分が上位であると示し、優位性を保つことで安心する。

相手と自分の二者関係だけではなく、特定集団の中で自分以外の人の評価が上がった(上がりそうな)場合も、その相手にマウントを発動し自分の方が上であると周囲に示そうとする。

 

マウントを取る取らないに関わらず、プライドが高い、と評される人のほとんどがこのような心理的傾向を持っている。

プライドを保つ為の表現方法のひとつが、マウント行為ということである。

その原因は種々あれど、心に大きなコンプレックス(主に劣等コンプレックス)を抱えている場合がほとんどと考えてよい。

 

コンプレックスは、元々フロイトやユングなどの深層心理を扱う精神分析の概念で、「無意識の中に抑圧凝固した複雑な観念/感情の塊)」という。

その後、様々なコンプレックスが分析家によって提唱されたが、その一つ「劣等感(他者よりも劣っているという感情)」に基づくインフィリオリティー(劣等)・コンプレックスが、アメリカの教育理論のなかで扱われるようになり、広く一般に(劣等コンプレックス=コンプレックス)として知られるようになった経緯がある。

 

プライドの高い人=劣等コンプレックスが強い人、といっても過言ではない。

 

マウント & プライド & 劣等コンプレックス この3つはセットとして考えると理解しやすい。

これは誰しも少なからず持っている心理的傾向で、それが強いか・弱いか、自覚しているか・いないか、コントロールできるか・できないか等によって、人生の味わいが違ってくる。

 

他人との比較、相対評価で自己価値を規定するのがプライドなので、自分より下か上か他人次第で自分の価値が上下し、プライドが高い人ほど心理的には常に不安定な状態にある

とうぜん、比較対象が自分より下と認識できている間は安定しており、鷹揚で親切な人でいることもできる。

 

プライドの根拠として、権力、権威・才能、社会的地位・肩書き、学歴、資産、家柄、容姿etc. ほとんどが内面ではなく、外面から見える世俗的評価に人間の価値基準を置いているといえる。

それらは時間の経過とともに必ず変化してゆくもので、したがって容易に他者と上下が逆転するという事実がある。

 

そこに自我のアイデンティティを築き上げようとしても、土台の脆い建築物のように、いずれ人生の途上で崩壊の危機に陥るリスクが高い。

 

人の何に価値をおくかは個人の自由であるし、そのモノサシで他者を判断することも自由だが、自分のモノサシは自分だけに通用することを認識する必要はある。

通常は、似たようなモノサシを持つものどうしが、惹かれ合ったり、つるんだり、張り合ったりするのではあるけれど。

 

以前にもどこかで書いたが、日本ではプライドと自尊心を同義語として扱っているが、英語では、Self-esteem自尊心Pride傲慢として、まったく別の概念と捉えている。

 

プライド Pride(傲慢)  

相対評価 他者との比較 他者:優劣・上下の関係性 心理的不安定

 

自尊心 Self-esteem  

絶対評価 自己を尊重  他者:対等な関係性  心理的安定

 

 

人は意識下の劣等コンプレックスをちょっとでも刺激されると、扁桃体はそれに敏感に反応しブワッと不安が増大する。

自己防衛のための不安反応は人それぞれであるが、基本は、逃走か闘争かフリーズ、のいずれかの反応になる。

 

マウント行為の場合、自己価値が下がる不安からくるストレスを、他者を下げる(=自分が上がる)というその場凌ぎの闘争で解消しているわけであるが、それはほとんど無意識下に行われる。

 

劣等感による不安の要因は、「他者から評価されないと自分は価値がない → 他者から見下され惨めで恥かしい存在」といった類の刷り込まれた自動思考

逆に言えば「他者から高く評価される自分は優れている(偉い・凄い)→ 他者から羨望・称賛されて然るべき存在」と思い込んでいる。

 

つまり、マウント行為は徹頭徹尾、自己防衛のための反応の一つに過ぎず、される側は関係ない。

 

マウントをとられた側は、

・見下される自分に原因があるのでは‥という自動思考によって心理的に落ち込みストレス増大。

・相手のマウントに対し屈辱感や怒りが生じ、同じような反撃行動に出てしまいストレス増大。

・相手の言葉を繰り返し反芻し、悔しさで悶々と眠れなくなりストレス増大。

等々、相手の抱えている問題に、自ら巻き込まれて不毛なエネルギーを費やしストレスを増やす。これは極力避けたい。

 

ただし、マウントをとられる側が自分の心の動きを客観的に捉えることで、逆に自らが抱えるコンプレックスを点検分析するチャンスにはなる。

 

単なるマウントに対する最も効果的な対処は「気にしないで流す」。

例として、以下は友人が「めんどくせーから」と言いつつ実行している省エネ対応。

 

相手からのマウント攻撃には、苦笑しながらウンウンとうなづき、そこで終了させる、

「ふーん」「あ、そう」「なるほどね」等と苦笑しながらつぶやき、そこで終了させる。

苦笑て、立派な反撃やん。。

例によって、ほとんど参考にならない例えになってしまった。

 

やりがちな衝動的反応は、相手の目的(優越欲求を充たす)に応えることになり、相手の思う壺(博打のサイコロ伏せ器)。

あれ?と気づいたら、雲の動きを眺める様に無関心に対応、相手が中空を殴っている様を遠目で楽しむこと。

 

だって私は関係ないんだモン♪

(しつこいですが)「問題は相手の側にあり、自分は関係ない

応用として「職場で偉ぶったり重箱の隅をつつく上司や同僚も同じ」

 

「不安なのネ」

 

相手の心理状態を理解して、無意味なストレスから自分を解放してあげる。

自分で自分の心身を守る、という責任を果たことにもつながる。

 

「恐怖や不安」は、原始時代から繁殖や自己防衛に必須の感情として備わったものだ。

 

しかし現代における「不安」という情動は、個々人の自己防衛という機能だけではなく、過剰もしくは不要な「攻撃」につながる破壊への大きなファクターのひとつとなっている。