うつ状態にもいろいろある

うつ(depression)というのは、気分が病的に落ち込み続ける状態です。

 

抑うつ状態というのは、うつ病だけではなく様々な疾患や障害にも症状として生じるので、精神科臨床の場でも、なかなか診断するのが難しいといわれています。

 

また「うつ病」と称するものにも複数の分類があり、それぞれの定義については専門家の間で議論が続いています。

 

「大うつ病性障害」「メランコリー型うつ病」「否定形うつ病」「抑うつ神経症」「気分変調症」「双極性障害」「新型うつ病」・・・・、それがさらに細分化され、ひじょうに分かりずらいのが現状です。

 

分類方法は今のところ、米国精神医学会が作成したDSM-Ⅴ(精神疾患の分類・診断のマニュアルと基準)と、WHO(世界保健機構)が作成したICD-10(国際疾病分類)という基準があります。どちらを用いるかは精神科医によって違います。

 

以前のDSM-IVにおいて「うつ病」は「双極性障害」とともに「気分障害」のカテゴリーに位置づけられていましたが、DSM-Vに改訂されてからは、「うつ病」と「双極性障害」が別のカテゴリーになり、気分障害という項目は無くなりました。

 

DSM-IVまでは気分障害に分類されていた「うつ病(うつ病性障害)」ですが、さらに下のように分類されます。

 狭い意味の「うつ病」「大うつ病性障害(major depression)」=「メランコリー型うつ病(melancholic depression)」 昔ながらの「うつ病」

「気分変調性障害 or 気分変調症(dysthymia)」抑うつ神経症(neurotic  depression)」≒「慢性小うつ病(chronic minor  depression)」「非定型うつ病」ともいわれ、症状が慢性的に経過して治りにくい。

狭い意味の「大うつ病性障害」は、古くから生真面目な人がなりやすいと言われてきた、いわゆる従来型の「うつ病」です。基本的に「エピソード性」であり、適切な治療をおこなえば数ヶ月~数年の経過の中で、ほぼ元どおりの元気な状態に戻るものです。ICD-10基準では診断名を「大うつ性エピソード」としています。

それに対して「抑うつ神経症」≒「慢性小うつ病」≒「気分変調障害」は、それぞれ診断名は異なりますがほとんど同じ概念を指したものです。共通しているのは、性格的な背景が深く関わり、症状の慢性的な経過によって、なかなか完治には至らないうつ病であることです。治療法についても、長年にわたって専門家の間で問題になってきています。

最近一部の専門家が「新型うつ病」などと新型インフルエンザのノリで病名を付けて、あたかも現代病のように喧伝していますが、それは間違いで、性格的背景の関与が大きいとされる「抑うつ神経症」あるいは「気分変調性障害」を今風に言い替えているに過ぎません。

なかでも「気分変調性障害」は最近の遺遺伝子研究の結果などから、これはむしろ性格の偏りが問題であるパーソナリティ障害の一種として考えた方がよいのではないか?という議論もあり、今後はどう分類されるかわからないというのが実情です。 

病気によってはうつ病と同じような症状が生じるものも多く、「統合失調症」「全般性不安障害」「パーソナリティ障害」「PTSD」「解離性障害」などにも抑うつがみられす。そのためケースによっては、「うつ病」とその他の病気との見極めも難しく、的確な診断がなされないことも少なくありません。

 

抑うつ感は人間の証

人間とは何ぞや? という命題については、古来から多くの人たちがさんざん頭を振り絞って考えてきたことですが、いまだにひと言で表現できる定義はなさそうです。振るたびに変化する万華鏡のように、断片的に語ることしかできません。

パスカル曰く「人間は考える葦である」
アッシー曰く「人間は考える足である」
マズロー曰く「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」
ピタゴラス曰く「人間は万物の尺度である」
トルストイ曰く「人間は川のようなものである」
カミュ曰く「人間は理由もなしに生きてはいけない」
深沢七郎曰く「人間は動物の中でも最もアサマシイ、不良な策略なども考える卑劣な、恐ろしい動物です。」

さらに「状況によっては人間は自らの死を願う生物である」というのも付け加えたいと思います。

「自殺願望」「自殺企図」「希死念慮」など、心理的に「或る状態」になると、心の奥底から発現する死への希求は、私たち人間特有のものです。
この世に存在したくないという思いの裏側には、人の心の複雑な仕組みがあります。
抑うつ状態がもたらす「希死念慮」も人間ならではの心の情景でしょう。

人にとっての不安や絶望は、いわば宿命であり実存的なものだと思います。生を意識するには同時に死への意識が必要であり、生きることと死ぬことの狭間に人は存在しています。それが人間としての味わいでもあり証でもあると思います。

深い憂うつの時代を経た人は、どこか魅力的です。