ナルシシズム(narcissism)2

 

『ナルシシズム(narcissism)1』では、自己愛には、誰もがもっている健全な自己愛と、ナルシシストを生み出す病理的な自己愛があることを説明いたしました。

 

日本ではナルシシズムの語訳は「自己愛」「自己陶酔」とされていますが、分かりやすくするために、ここでは便宜上、「健全な自己愛」を「自己愛」、「病理的な自己愛」を「ナルシシズム」とします。

 

「自己愛」――― 誰もがもっている健全な自己への愛着

  ・基本的自己愛「セルフ・ラブ」

  ・「能動的な愛」を自己に向けた心的状態の一つ

  ・自己を含め他者も愛することができる能力

 

「ナルシシズム」――― 自己認識や現実認識を狂わす病的な自己への

                                      執着

 ・心的エネルギーが全て自分(身体・感情・利害等)に向かっている状態

 ・そこに他者は存在ぜず、自分だけに関心や情熱が向いている心的状況

 

基本的自己愛

 

最初に、健全な基本形態としての「自己愛」について考えてみたいと思います。

 

本来、ナルシシズム(narcissism)の最も基本的な意味はセルフ・ラブ、つまり「自分が自分を愛する」ということです。

 

F・フロムは『愛するということ』の中で、「健全な自己愛」の重要性を説き「自分を愛することのできない人間に、どうして他人を愛することができようか」ということを述べています。

 

それでは「自分が自分を愛する」とは、具体的にはどのようなものなのか。ここでは主に二つの自己愛心理について説明してみましょう。

 

 

「自分だけは特別だ」

 

まず、誰にでも「自分だけは特別だ」という心理があります。

 

例えば、災害や病気、事件や死について考えるとき、どこかで「自分は、大丈夫」「自分はそんな目には遭わない」という漠然とした気持ちがあります。この漠然とした思い込みが、基本的な自己愛心理です。

 

したがって突然の大きな災難や不幸、ガンがが発覚したときなどは、「なぜ、自分が!!」と、受け入れ難い大きな衝撃を受けることになります。

 

このような「自分だけは特別」という自己愛心理を、フロムは自己に関する「全能感」と呼んでいます。

 

「自分だけは特別だ」という思い込みは、不安をやわらげる大きな役割を担っています。例えば、車の事故や大地震、大病など、実際には自分も遭遇する可能性が十分にあるのですが、毎日その心配をしながらビクビク暮らしていたら身が持ちません。「自分はまあ、大丈夫だろう」という自己愛心理に守られているから、日常生活を楽観的に過ごせるわけです。

 

この「自分だけは特別」という心理は、死や危険に対してだけではなく、自己像にも反映されます。自分に実際以上の理想的な自己イメージを抱いて、鏡の前で何時間でも化粧に没頭したり、高級車やブランドもので身を飾り、都合よく思い描いた自己イメージに満足します。老人は、実際の年齢より自分は20歳前後は若く見える‥と思っているという統計もあるそうです。

 

こういったうぬぼれや否認の心理も、健全な自己愛という意味では重要なものです。家族や親しい友人などの間では、お互いのイリュージョンを支え合う、というかたちで機能しています。

 

自分に対して思い描く理想的な自己像が、ある程度保たれているのは健全な自己愛といえます。しかし、自分で思い込んでいるイメージと現実の自分とのギャップがあまりにも大きすぎると、この記事のテーマである「病的な自己愛」ナルシシズムにつながることになります。

 

また「自分だけは特別だ」という思いがネガティブに反転する場合もあります。「自分だけはうまくいかない」「自分に限って失敗する」これは全能感が逆にはたらく、神経症的傾向の方に多い思い込みですが、これもナルシシズムと深い関係があるのです。

 

 

「自分に関わるものは Good 」

 

「自分が自分を愛する」説明としてもう一つ挙げておきたいのは、「自分に関わるものはよいものだ」という心理です。

 

自己愛の対象が、自分そのもの、自分の人生そのものへと向かうことはもちろんですが、それだけではなく、自分に関るすべてのものに対し「自分に縁がある」というだけで、よいものだ と感じる心理があります。

 

自分の家族や友人、ペット、職場、さらには自分の郷土や生まれた国など、自分に関係のあるもの、人間や人間関係、グループに対しての無条件な好意は、誰もが心の奥底に抱いている自己愛心理によるものです。

 

明確な根拠もなく、スポーツで母校や同邦の選手を応援したくなるのも、同じ犬種を飼っている人に親近感を覚えるのも、同国人のノーベル賞受賞が嬉しいのも、宇宙人の来襲に国境を超えた人類愛に目覚めるのも、つまるところ「自分で自分を愛すること」から生じているわけです。

 

以上のように、自己愛は心の中だけではなく、外の世界にもネットワークを広げてゆく性質を持っています。この自我感情の拡大を「ナルシスティック・エクステンション(自己愛の延長物)」といいます。

 

この心理は、自己愛の対象物が客観的に素晴らしいとか、価値があるということよりも、「自分の」縁者だからであり「自分の」生まれ育った故郷だからです。

 

 

「自分だけは特別だ」「自分に関わるものは Good 」という自己愛心理は、あくまでも自分の主観的な心の世界のことですから、幻想やイリュージョンの上に成り立っているもの、ともいえます。

 

自分が生きてゆく世界はここであり、自分の一生は一度しかありません。たとえ幻想やイリュージョンであっても、この世界を自分にとって特別でよいものと思うことができなければ、日々不安や恐怖、孤独に怯え、惨めな自己否定の人生を歩まなくてはなりません。

 

しかしナルシスティック・エクステンションが病的な変異を遂げると、わが子に親の自己愛を満たすための人生を強いる‥といったような悲劇が起こります。これについても、次回からの「病的な自己愛」ナルシシズムの中で触れたいと考えています。

 

 

以上、基本的自己愛は、人が生きてゆく上での安全装置であり、シールドであり、保険であるとということが理解できたと思います。

 

危険がいっぱいの不条理なこの世に、強引に押し出されてしまった自分の心を守ってくれるのが、自己愛が生み出す幻想やイリュージョンなのですね。

スゴイとしか言いようのない心の仕組みの一つが自己愛です。

 

 

自己愛によって、自分の主観性や自己中心性、楽観性といった、自分を肯定し、受け入れ、ここに安住していることができること 、つまり「自分を受け入れる」ことができるのは、その人の子どものころからの経験による、ものごとの認知に深い関係があります。しかしこれを説明しだすと、小舟で大海原に漕ぎだすようなことになってしまうので、今回はここまでとします。

 

以上、基本的自己愛は、健全な自己愛であるということを述べてきました。

 

自己愛は人間が生きてゆく上でひじょうにたいせつなものですが、その基本的自己愛を獲得できていない場合はどうなってしまうのか?

 

次回からは、この記事のテーマである病的な自己愛「ナルシシズム」について書いてゆきたいと思います。